2014年6月25日水曜日

サッカーワールドカップに見た国際選手強化

サッカーワールドカップ ブラジル大会 日本代表チームは大変残念な結果となりました。サッカー界と野球界、国内で切磋琢磨しながらスポーツ界を盛り上げている中、何とか世界でも通用するというところを見せて欲しかったというのが本音ですが、勝負ごとですから上手く行かないときもあります。

ただ、サッカーやラグビーなどに代表されるコンタクトスポーツではやはり体格的なハンディを感じずにはいられません。

真剣勝負になればなるほど、激しいコンタクト戦が繰り広げられ、最終的には身長差だとか体格差だとか、運動能力の差だとか悲しいコメントが解説の口からも出てきます。

テストマッチや非公式な練習試合などでは、それ程、激しいプレーをしない外国チームが一転、ワールドカップ大会だけは別物とからだを張ってのプレーが目を引きます。
正にワールドクラスのプレーですね。

日頃から勤勉な日本人は、練習試合でも本大会でもプレースタイルを変えることはしませんので、今大会のように最後のひと頑張りという時の余力が残っていないのかなとも考えてしまいます。

ラストスパートに弱い国とも言えるのではないでしょうか。
殆どのスポーツ種目で最後の最後で必ず負けるシーンを目にすることが多いですね。

そういった意味では、選考逃げ切り型の国民性なのでしょうね。
優位に立った状況では、「それ行け」となりますが、劣勢の状況では耐え切れなくなって結局自滅するパターンが多い。

昔から日本人がそうだったのかと言われるとそうではないのでしょうが、発展途上国に代表されるようにスポーツで生計を立てるしかないというように追い込まれた生活環境に育った人間と比較的安定した日本のような国で育った人間とでは、(私を含めて)「何が何でも」という最終的なメンタルの差が出てくるのでしょうか?

結局は、ハングリー精神の差と言われるのですよね。

一方、今後、敢えて生活環境を劣悪にし、選手を追い込み、東京オリンピックに望むなどという戦略は本末転倒ですから有り得ないことですので、日本のスポーツ界にとって「メンタルタフネス」は非常に難しいテーマになってきていると思います。
世界で戦うということは、諸外国とのスポーツ文化と戦うということであり、日本の常識はまず通用しません。
日本人が美徳としているフェアプレーの精神も不本意ながら通用しないこともしばしばです。
ルールぎりぎりのラフプレーなどは日常茶飯事であり、日本が世界に「ラフプレーをやめよう」と働きかけても中々目を向けてくれないという現状もあります。
だから目には目をというような行為をしていいというものではないですが、世界で戦うためには其れぐらいの心構えで望むことも必要となってくるのでしょうか?

これが日本スポーツ界で活躍する選手が世界大会で戦うジレンマとなっているのかもしれませんね。

競争社会の中で「一番になりたい」という気持ちが芽生え、「絶対に勝つんだ」という向上心が宿ります。
決して学校教育を批判している分けではありませんが、今の学校教育の機会均等という流れでは、このハングリー精神は育ちにくいということは間違いないと思います。

では、スポーツ界はどのような対応をすれば良いか問われると自立した選手を早く作りあげ、国際経験を積ませるしかないのではと・・・。

自立した選手とは指導者や保護者の言いなりではなく、自分で判断し、行動をしていくような人間を作りあげること。
これに国際経験を早い段階から行い、国際大会では「それが当たり前」ともの応じしないような状況を作りあげること。

それには、当然ながらお金が必要となりますので、スポンサー企業から育成資金を調達する。また早い段階でスポーツ事業に興味のある会社とジュニア選手とマネージメント契約を締結するなどのような仕組みを作り上げることが重要でしょう。

とは言え、日本のジュニア期ではスポーツは学校教育一環、人間形成を目的として推奨されているため、このようなイレギュラーな考えは到底受け入れられないのですが・・・。

このように国際強化においては、今の日本におけるスポーツ文化と逆行することが沢山あります。
強化する側も「良く頑張ったね」と言える程度で良しとするのではなく、本当に勝つためにはと真剣に考える時期が来ているのではないでしょうか?

ワールドカップ大会を見て改めてスポーツの素晴らしさを痛感しています。

スポーツは国民に勇気を与えます。

東京オリンピックで日の丸が多く掲揚され、この国に生まれて良かったと誇りに思えるような強化を図って行って欲しいものです。

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